先日、あるメルマガで。
フランスの哲学者のアランは「幸福論」という
本の中で。タイトルのようなことを言っている
と目にしました。
個人的な少しばかりの経験や知識からすれば、
山によってロープウェイなどいろいろな登山
方法もあれば、様々な登山ルートがあって。
そのルートでなければ見えない景色、感じられない空間がある
という経験から、このアランの言葉は確かにそうだなと思えます。
その上で。この言葉は登山に例えていますが。
ビジネスや仕事、登山以外の趣味やスポーツでも。
大した汗もかかず、片手間的な短い時間でやっている人と。
それなりに汗をかき、時間をかけやっている人の出した結果や成績は。
仮に同じ結果や成績だとしても、太陽の見え方と同じく。
次のステップや成長の糧になる度合いに、違いがあるとも思いました。
やはり自分で動いて汗をかき、時間をかけ努力した結果は。
汗や時間や努力など、エネルギーを使った分に比例して。
結果を出した時の感動や感銘が深いと思うのです。
一方で。もし途中で挫折した、もし思うような結果が手に
できなかったら。登山なら道半ばで引き返すとか、山頂の
手前まで行ったが下山するとしたら。
それはそれで、まだ自分がその結果を追い求めたいとか。
それでも、いつかその山の頂きに立ちたいと願うならば。
山はいつでもそこにある、山は逃げない。
というように思い描いてみてはいかがでしょうか。
前回は、登る途中で体力がつき仕方なく引き返した。
努力したが挫折した、望む結果が達成できなかったならば。
体力や天候や季節に合わせ、ロープウェイを使えば良い。
失敗の経験を活かして、別の方法でまた挑戦すれば良い。
山も望む結果も、自分が目指す限り逃げたりしないのです。
このような考え方で、望む結果を捉えて目指すとしたならば。
常に好奇心を持ち、進化や変化を望む姿勢で挑戦したならば。
仕事でも趣味でもスポーツでも、より高い充実感と。
より深く、そして幅広い楽しみを発見できる気がします。
最後に。登山の話に戻りますが、ある登山家が。
山では、法律や権利で自分を守ることができない
自分の身は自分で守る、その上で自然に感謝すること
と述べていて。
山の大きさや懐の深さ、自然の力の偉大さに畏怖しながら感謝する。
何事にも、上には上があるという発想を持てるのが登山だと語っていて。
これもまた、良い言葉だと思いました。