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3代目社長のつぶやき

出来事から思うこと

北海道で大きな地震が・・・

本日未明に北海道で大きな地震が発生、多くの方が被災されました。また北海道内の全域で停電ということで、生活や交通機関に多大な影響が出ています。一刻でも早い救出や救助、支援の拡大や充実、その後の復旧が進むことを願って、何かお手伝いできることがあればと思います。

一方で群馬、特に地元の前橋は。地震の少ない方では?と思いこんでいる私がいます。しかし本日の地震はもとより、阪神淡路大震災、東日本大震災など数々の大地震が頻繁(ひんぱん)に起きていて。ドコドコは大丈夫、この地域は地震があっても大きくゆれないから、という話は。日本ではドコにもない!と改めて思い知らされた気がします。

思いおこせば、あの1995年の阪神淡路大震災の時。地震発生4日前の金曜日、私は全国から集まったある会の仲間たちと泊まりがけで東京におりました。その日の晩、東京で地震があり、翌朝の会議の時に神戸の方と「群馬は地震がないけど東京はありますね~」「いや~神戸も地震は少ない方ですよ」などと軽口をたたいていました。

その3日後、1月17日。朝6時のニュースで、神戸で地震があったと知りましたが。その時の報道では、あまり大きな地震だと感じませんでした。その後に出社した私は、お昼に入った飲食店のテレビを見て。ようやく、すごいことになっていると初めて自覚したのです。

すぐ一緒だった神戸の方に、携帯電話をかけました。その方もご家族も無事で、ご自宅や会社の中が大変になっているけれど。とりあえず、大丈夫だと話しておられました。しかし午後になって、被害はどんどんと大きくなっていることを知ります。また神戸の方から私に携帯電話があって「神戸の他の仲間と携帯が通じない、群馬経由で連絡が取れないか?」というのです。そこで別の神戸の仲間に電話した所、群馬からならば携帯が通じます。こうやって、しばらく連絡をつないでいたのですが・・・。やがて群馬からも、通じにくくなりました。

今では考えられませんが。当時はSNSもなければ、インターネットは電話回線で文字やFAXを送る程度のモノでした。頼みの携帯電話も、まだ台数も少なければ。中継基地も少なく、全国どこでも通じるような時代ではありません。情報の伝達や現地の様子は、テレビや新聞の報道で知ることが主流でした。

またボランティアという考え方さえ、日本にはまだほとんどなくて。後に前橋の仲間たちと救援物資を集めてトラックで送ったり、実際に神戸に入ったりしたのですが。現地ではボランティアで支援に来た方も、その支援を受ける方も慣れない状況がありました。語弊がある言い方かもしれませんが・・・。支援に来た方は、ワザワザ来てやった・・・支援を受ける方は、他人のほどこしは受けない・・・。このような感情があったのです。

その16年後、今度は東日本大震災。3月11日は東京にいて群馬へ帰れなくなったり、その後の計画停電で生活が少し不自由だったり。また仙台にも仲間がいて、大震災の最前線で懸命に救援や復興にがんばる姿を目にしたり、個人的には今でも被災された子供たちのための活動を細々ですが支援したり。

このような経験を通じて、私はふと思うのですが。情報の伝達も現地の様子を知る手立ても、ボランティアの状況も、95年当時と比べて少しずつ良くなってきたと思います。しかし今朝の北海道の状況を見るまでもなく、まだまだ十分とは言い難いものもあると思っています。

このような震災をはじめ、大雨や大雪などの災害に遭遇するたびに。私たちの会社では、水や空気に関係するみなさんの「ライフライン」をつくり・守り、生活を支える会社として。東日本大震災の時も、他の災害でも社員のみんなが自主的に「私たちなりに出来ることをしよう!」と行動してくれています。また日本には「お互いさま」という言葉があります。災害の時だけでなく普段の生活でも、この言葉を心に留め、少しでもお役に立ちたいと願って「困った時は、お互いさま」という気持ちで活動しています。それは97年前と変わらない、創業からの精神のような気がしています。最後に、改めて北海道のみなさんの一日でも早い生活復興を祈って。

ではでは。また。