【part2からの続き】
ジェントルが紳士的、品格もあるという意味とすれば。
テーブルの上では紳士的に握手、態度に品格もあれば。
同時にアンダーテーブルでは、
相手をいつでも蹴飛ばせるように。
いざ!何かコトがあれば。
大切なヒトを守るため。自分の信じるものを貫くため。
戦える力を内に秘める、そんな人物。
今の時代、一昔前の表現だと言う人もいるだろうが。
オレのイメージは、フィリップ・マーロウという探偵のセリフ。
「男はタフでなければ生きて行けない、
やさしくなれなければ生きている資格がない」
オレの大好きな俳優・高倉健が主演、そして薬師丸ひろ子の
デビュー映画の中でも使われたこの言葉が一番しっくり来る。
BAR、中でもバーカウンターが似合う人とは。
タフでありながらやさしい人物だ。
そんなバーカウンターの似合うような人に、
いつしかなりたいと憧れ続け今日まで。
機会があればBARをめぐって40年あまり。
まだ駆け出しの小生意気な若造の頃、
生まれて初めてのBARで一人のバーテンダー氏に出会った。
後にオレの「酒の師匠」となった彼から教えてもらい、
2軒目のBARとして行ったのは。
地元のマイスター・バーテンダー氏のBAR。
目的はたった一つ、
マイスター氏のマティーニを飲むことだった。
ある私鉄駅の路地裏にそのBARはあった。
人に自慢できるほど数多くないが、東京・
銀座をはじめ。出張や組合の会議など先々
でBARをそれなりに渡り歩いて来たが・・・
「Established 1961」
当時すでに20年以上のキャリアを積んだ
マイスター氏によるマティーニ。
この至極の一杯の仕上がりは、オレは他で見たことがない。
そして、これからも見ることもないだろう。
シェークでなくステア、ピッ!と最後の一滴まで垂らすと。
ショートカクテルグラスに表面張力が起きていた。
そこにオリーブを沈めても、こぼれない。
「よろしければ、口からどうぞ・・・」と。
カクテルグラスが滑るように出された。
それから十数年後、銀座のBARデビューが30代前半。
オーナーマダムの温かい笑顔と。
ピッとした同世代くらいのバーテンダー氏が出迎えてくれた。
バーカウンターに座り、素晴らしいバックバーを眺めながら。
バーテンダー氏と会話しながらチョイス。
手製の削り出し丸氷を愛でながらモルトを楽しんだ。
よく東京・銀座はBARの聖地、日本の最高峰と賞されて。
独特の白のバーコートには「銀座のプライド」があるとも言われる。
確かに銀座の西6丁目界隈だけで、1000を越えるBARがあって。
愛好家や世間に名を轟かせているバーテンダー氏のBARもある。
しかしBARという存在、
その場で披露されるBAR文化は。
どこにでもある地方都市に過ぎないオレの地元だろうが。
聖地・銀座であろうが、同じだとオレは肌で感じて来た。
意外と価格も、そう大きく変わりはない。
違いがあるのは、酒の好みと同じ。
上も下もない、銀座も地方都市も関係ない。
オレの嗜好に合うか合わないか、それだけだ。
そう。そのことを強く感じたのは。
10年近く前、50代半ばの6月のある日だった。
テレビでも特集が組まれた著名なバーテンダー氏のBAR。
番組を見てまさに「プロフェッショナル」をその人に感じて。
銀座にあるそのオーナーバーテンダー氏の本店に。
BARに造詣の深いツレと一緒に行った時のことだった・・・。
【part4へ続く】