Column Column

3代目社長のつぶやき

出来事から思うこと

マスク着用の個人判断に

マスク着用が個人判断となってからもうすぐ3週間になりますが。
街中を見ますと、まだ多くの方がマスクをしているように思えます。

考えてみれば、この3年あまり。

私を含めほとんどの方がマスク着用をはじめとした生活。
コロナ対策の新しい生活様式で日常を過ごしてきました。

そんな生活にすっかり慣れたところで「個人判断で」と
言われても・・・迷うこともあれば、マスクなしに不安
を感じることもあると思います。

また個人的にはマスクを外して、コロナ前の日常を取り戻そうとか。
コロナ前の生活に戻ろう言われると、何だかピンと来ない感覚もあります。

もともと時間は過去から現在、そして未来へと一方通行です。

すでに過去の自分は存在せず、コロナ体験を経た現在の自分がいて。
ではこれから先、未来へ向けてどうするか?が現在ですから。

コロナ前の生活というより、次の新しい生活様式の幕開け。
未来へ向けてマスク着用が個人判断に変わると言われた方が。

何かしっくりくる気がしています。

その上で。これもまた、個人的な推測ですが。

次の新しい生活の様式、私たちの生活をカタチ作るキーワードの一つが。
マスク着用に象徴される、個人判断という言葉ではないかと思うのです。

それは国が言っているから、専門家が話しているから、とか。
周囲がみんながやっているからで、カタチ作られるのでなく。

「自分の生活のカタチは自分で判断して作る」という考え方が。
コロナに限らず、これから広がっていくのでは?と思っているのです。

たとえばコロナ以外の事例ですが。

最近のニュースを見ると自分たちの欲望のため、平然と。
お年寄りや子どもなど、社会的に弱い立場の人たちを襲う
事件が後を絶たない気がします。

そのたび、こんな事件に自分や家族や親しい人が巻き込まれないように。
個人個人が以前より注意しなければいけない社会になったと感じます。

他にもウクライナの戦争、また日本近辺の軍事的緊張の高まりなど。
未来が心配になるような話が、海外でも段々と増えているとも感じます。

同時に事件や災害や戦争など、非常時にはコロナで多くの方が体験したように。
どうしても「自分の身は自分で守る」度合いが、増えざる得ないと考えています。

もちろん、個人判断といっても。
私たちは、決して一人ではありません。

家族や友人や恋人、会社や学校や地域の仲間など身近な人たちがいます。
今はまだ見えなくても、手伝ってくれる人や共感してくる人も必ずいます。

同時に。個人一人で出来ることには、それなりの限界があります。
そして個人一人での判断は、カン違いを起こしやすい点もあります。

そこで。これからの世の中、新しい生活のカタチを作る上で。

自分の未来を自分の手で築くためにも、他の人と一緒に手を組んで。
支え合い進んで行きながら、判断して行動するということが大事だと。

私は考えているのですが、みなさんはどうお考えでしょうか?